まんなかにあるもの

中庭でゆっくりしながら心のまんなかを綴ってます

命のリレー:老犬と初孫、ふたつの希望

 

 

プロフィールにも書きましたが、うちの一人娘は今妊娠中です。今年中には赤ちゃん(初孫)が産まれる予定です。

私はこの胎児ちゃんを“希望ちゃん”と名付けて、勝手にそう呼んでいます。

 

ちなみに、娘は私たちにとってラッキーなベイビーでした。その話はまた後日改めて書こうと思いますが、

孫は、まさに私に「希望」を与えてくれる存在です。

 

実は、私たちが飼っている犬は老犬なのですが、最近病気が見つかりました。年齢のこともあり、

獣医さんからは

「余命は1ヶ月かもしれないし、数年かもしれない。はっきりとは言えない」

と言われました。

 

子ども同然に可愛がってきた愛犬なので、私はショックで毎日のように泣いて過ごしていました。

そんな矢先、娘夫婦のところに赤ちゃんがやってきてくれたのです。

 

毎日涙ばかりの生活の中で、まるで舞い降りてきたかのような存在──それが希望ちゃん。

私に希望をくれた、本当に“希望”そのものの赤ちゃんです。

 

「なんでこのタイミングなんだろう?」

と、私は笑いながら泣いていました。

一方では死に近づいていく命、そしてこれから生まれてくる命。

死と生は、対極にあるようで、実はとても近くにあるんだと深く感じました。

 

幸いなことに、愛犬は今のところ元気に過ごしてくれています。

愛犬も希望ちゃんに会える日が来るかも?と期待しています。

 

「希望ちゃんが生まれたら、一緒にお世話しようね〜」

愛犬に、そう語りかける毎日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怒られた記憶、残る記憶

 

今になって自分の子供時代を振り返ると——

怒られて納得できた記憶って、ほとんど残っていないんですよね。

逆に、理不尽に怒られた記憶は、ずっと心に残っています。

 

たとえば——

私は中学生のとき、スポーツの部活に入っていました。練習は厳しく、顧問の先生もとても怖かった。昔の“スポ根”時代なので、今なら問題になるような体罰も当たり前。

それはさておき、この先生、とにかく

「理由を言わずに怒る」

ことが多かったんです。

 

ある日、ある女子部員が親と一緒に先生に何かを話しに来た後、私たち女子全員が突然怒られ、「反省しろ‼️」とだけ言われました。理由もわからないまま、何日も練習に出してもらえず、体育館の端で立たされ続けました。

 

他の子たちは

「とりあえず反省したフリしとこ」

って感じだったけど、私は納得できず、勇気を出して先生に聞きに行きました。

「なんで怒られてるんですか?何があったんですか?」

そう聞いた瞬間——

「そんなことはどうだっていいだろー!」

と怒鳴られ、私は引き下がるしかありませんでした。

 

そして数日後、突然「もういいんだ」とだけ言われて反省モードは終了。結局、何が問題だったのかは最後まで説明されませんでした。

——いまだに、何だったのか分かりません。

でも、こういう記憶って、本当に忘れられないんですよね。

 

これって、親子関係にも言えると思うんです。

「怒る理由を説明すること」

「子供の話をきちんと聞くこと」

そして、納得できるまで話すこと——

それがあるだけで、子供はちゃんと理解し、自分の中で腑に落とせるんです。

そうなれば、「怒られた」という感情は残らず、ただの成長の一部になるんだと思います。

 

 

 

育てるとは、導くこと

 

家庭での毎日の生活環境、そして

「なぜそうしなければいけないのか」

という理由を子どもに伝えることは、とても大切なことだと思います。

 

たとえば——

なぜお風呂に入らなければいけないのか?

入らなければ、まず他人から「臭い」と思われるかもしれません。見た目にも清潔感がなく映ることもあります。そして何より、汚れたままでいると、体に付いたばい菌が原因で皮膚病や他の病気になることだってあります。実際、私はそれで何度か皮膚科に通いました。

歯磨きについても同じです。

 

学校での宿題や勉強も同様です。

「なんで宿題をしなきゃいけないの?」

「どうして勉強しなきゃいけないの?」

子どもには、まだその必要性がなかなか分かりません。

 

そんなとき、

「当たり前でしょ!」

と一言で済ませてしまうのは簡単ですが、その“当たり前”が、子どもにとって“当たり前ではない”ことのほうが多いのです。

「自分の子なんだから、それくらいできて当然でしょ」

ではなく、本当はできなくて当たり前なんです。

 

だからこそ、ちゃんと導いてあげること。

「なぜそうするのか?」

という理由を、子どもが納得できるまで丁寧に説明してあげること。

それが本当の意味での“しつけ”なんだと私は思います。

 

もちろん、私だって「当たり前でしょ。」という言葉を使ってしまうことはあります。

でも、外国に住むようになって、より強く感じたのは——

「自分にとっての当たり前」は、他人にとっては決して当たり前ではない、ということです。

 

人はみんな、それぞれ違っていて当然。

だからこそ、きちんと伝える。

説明する。

そして理解してもらう。

 

それは、親子関係に限らず、すべての人間関係において、お互いを理解し合うために欠かせない姿勢なのだと感じています。

 

 

 

 

記憶の中の親の不在

 

 

前回までに、私の家族や育った家庭環境についてお話しました。

 

だからといって、子ども時代がすごく不幸だったとか、何かに強い不満があったわけではありません。

むしろ、物質的には何不自由なく過ごさせてもらったので、両親には感謝していますし、極端に仲が悪かったわけでもありません。

 

ただ、母もいろいろなことで手一杯だったのは事実で、私にまで十分な手が回っていなかったように思います。

自分が親になって初めて気づいたのですが、子どもというのは、まだ物事の意味や正しさを自分で判断することができないので、ある程度のガイダンスが必要なのだと強く感じます。

 

私は小学生の頃、特に低学年の頃は自分でも「不潔だったな」と思います。

お風呂に1週間くらい入らないこともよくありましたし、一日中着ていたTシャツを着たまま寝て、翌日も同じ服でそのまま登校するということを、まったく気にせず繰り返していました。

 

「自分のことは自分でやるのが当たり前」と言ってしまえばそれまでですが、なぜそれが良くないのか、なぜ親がそこを正さなかったのか…という疑問は残ります。

母はそんな私に対して

「うわー、きったなーい」と茶化すだけで、「こうしたほうがいいよ」と正してくれることはありませんでした。

 

歯磨きも同じです。学校では

「歯を磨きましょう」

と指導されていましたが、家では一度も言われたことがありません。

後から母に尋ねたところ、

「赤ちゃんのときから、幼児は歯なんて磨くもんじゃないと思ってた」

と、悪びれもなく答えていました。

 

その結果、小学校1年生の時点ですでに奥歯は銀歯だらけ。

宿題はいつもやらず、忘れ物ばかりの小学校生活でした。

 

私の生い立ち 続き、、

 

今振り返ると、父の子育ては、過干渉・支配的である一方、興味の範囲外では極端に無関心という、両極端なものでした。

とりわけ長男に対する期待と肩入れは強く、それは虐待に近いものであったと思います。

 

「俺の子どもなんだから、煮て食おうが焼いて食おうが俺の勝手だ!」

そんな言葉を父はよく口にしていましたし、酒を飲みながら長男に延々と説教し、頬を叩き続けるような夜もありました。

 

一方で、関心のないことには放任主義を貫き、家庭の多くのことは母任せ。20歳を過ぎている娘に対して、自分の思い通りにならない行動があった時、母に向かって

「お前はどんな育て方をしたんだ!」

と怒鳴りつけていたので、私は大笑いをした事があります。

また、私には、

「お前には全く期待していないから、好きにやれ」

と言った事もあります。

 

母は母で、父や口うるさい姑との関係の中で、放任主義を装いつつも、どこか依存的な一面がありました。

誰かの面倒を見ることが生きがいだったのでしょう。そのため、私たちが自分の意志で何かをしようとすると、それが母の望む形でなければ、時に脅しのような言葉を投げかけることもありました。

私は比較的若くして結婚しました。夫は私より年下で外国人だったこともあり、両親からは反対され、母には

「そんなことをするなら、自殺してやる」

とまで言われたこともあります。

 

 

そんな、まるで“動物園”のような家庭環境で育った私は、「結婚するなら絶対に父とは正反対の人」と、強く心に決めていました。

そして「自分はうちと同じような家族を作らない」と、自分自身に誓っていました。

 

生い立ちについて


まず何から書こうかと考えましたが、自分の生い立ちから綴っていこうと思います。

 

私は三人兄妹の一人として育ちました。家には両親、兄妹のほかに、父方の祖母も同居しており、六人家族でした。

子どもの頃はあまり意識していませんでしたが、今思えば、比較的裕福な家庭だったように思います。

とはいえ、何か特別な贅沢をさせてもらったわけではありません。

 

父は典型的な昭和の「雷おやじ」。仕事一筋で、夜は外で酒を飲むのが日課。家にいる時間も少なく、いたとしても機嫌が悪く、捕まれば最後、長い説教やたまに殴られる事もありました。

父の車のエンジン音が聞こえると、母の「帰ってきたよ!」という掛け声とともに私たちは皆、自分の部屋に逃げ込んでいたのをよく覚えています。

 

そんな父でしたから、両親の仲が良かったとは言えません。母はいつも父に対して敬語で、当たり障りのない会話しか交わしていませんでした。

祖母は、いかにも田舎のおばあちゃんといった感じで、何にでも口を出さずにはいられないタイプ。とても口うるさい人でした。

 

 

 

書き始め プロフィールから

 


はじめまして、Peonyです。
Hatenaブログは今日から始めたばかりで、まだ書き方も手探りですが、どなたかの心に届き、何かの助けやヒントになればと思い、思い切って書き始めることにしました。

 

まずは、私の簡単なプロフィールから。

 

20代前半で国際結婚をし、結婚後は約13年間日本で暮らした後、家族で海外へ移住してもうすぐ14年になります。一人娘は一昨年結婚し、現在妊娠中。今年、私は初めておばあちゃんになります。

今は、愛犬と夫と3人で穏やかに暮らしています。

 

これまでの人生を振り返ってみると、本当に色々なことがありました。まるでジェットコースターの一番前に座らされたような日々で、人には簡単に話せないような経験もたくさんしてきました。でも、自分自身の努力、そして家族の支えもあって、今はとても幸せで穏やかな毎日を過ごしています。

 

もうすぐ孫が生まれてくるというこのタイミングで、改めて人生についていろいろなことを考えるようになりました。

これまで私もたくさん悩み、泣き、もがき、辛い思いもしてきました。でも、そういった経験こそが、今の私をつくっている大切な糧になっていることは間違いありません。

 

そんな私の止めどなく溢れる想いや考えを、少しずつ書き綴っていくことで、どこかで誰かの心に届いたら。それが、ほんの小さな灯りとなれたら。そんな願いを込めて、これから書いていこうと思います。